こんにちは!かなこです。
突然ですが、当ブログ、意外と県外の方が見ていて下さるのです。
転勤で仙台にいらっしゃるのかな?

初めて仙台に来るとなると、心配になるのはやっぱり地震のことですよね。
今日は幼稚園探しから離れて、東日本大震災のときのお話。
私は3.11当時仙台にいました。既に子供が3人いましたので、移動するのでさえ必死!
今回の記事を読んでいただいて、「自分が震災にあったとき、どう行動するのが良いか。そのためにどんな準備が必要か。」考えるきっかけにしてくださいね。
運だけで乗り切った!?「3.11東日本大震災」
2011年3月11日 14時16分。
私は長女(3歳)と 二女(1歳4ヶ月)と一緒に、寝室でお昼寝をしていました。
長男(6歳)はリビングでお友達に「ありがとう」の手紙を書いていました。翌日は幼稚園の卒園式だったのです。
地響きとともに突然ガタガタと地面が揺れ始め、ガチャン・ガシャンという音が響き渡りました。
一人リビングにいる長男が心配だったのですが、あまりに大きな揺れで、私は四つん這いになって耐えるのがやっとの状態。
(ちなみにマンション9階に住んでました。)
歩くことができないし、音もひどかったので、もう叫ぶしかありません。
私 「お兄ちゃん、大丈夫ーーー?」
長男「大丈夫ー!お母さんはやくきてー!!」
リビングにハイハイしながら行ってみると、長男はテーブルの下に潜り込み、じっと耐えていました。
長男のもとに行きたいものの、進路を妨害するものが。
椅子や棚が倒れ、床にいろんな物が散乱していたんです。
なんとか長男を救い出し娘たちの待つ寝室に移動しましたが、揺れが収まらない…。
どうしたらいいものかと途方に暮れていると・・・
管理会社の人が来てくれたんです!!

とにかくマンションから出てください!

そう…ですよね
当時、避難用のリュックなど用意していなかったので、携帯電話(←充電がほとんどない)と財布、オムツを持って家を出ることに。
管理会社のお兄さんが長女を抱っこしてくれ、私は二女を抱っこし長男と手をつなぎ、非常用階段を使ってやっと外へ出ることができました。

このお兄さん、うろたえる私とは真逆でとても落ち着いていて、玄関に置いてあった自転車用のヘルメットを見つけて子供たちにかぶせてくれたり、避難所を教えてくれたり、本当に助かりました。
避難所
外に出た私たちは、近くの小学校が避難所になっていると知り、そこを目指しました。
仙台では珍しいほど雪がモサモサたくさん降っていて、「なんてついてないの…」と思った記憶があります。
小学校についたところ、既に人がたくさん!
外にいるよりはマシだと思い、部屋の中へ。
すると小さい子連れの方がたくさんいらっしゃいました。

知らない方ばかりでしたがお話ができましたし、建物の1階ということで揺れも小さく、家にいるよりは安心できました。
さぁ、問題はここから。
主人とどう連絡をとるか。
もともと充電が少なかった私の携帯電話。
メールで無事は確認できたものの、居場所を告げる前に充電がゼロに。
参ったなぁ…。今日は避難所で寝るしかないか…食べ物ないけど、この子たち連れて家には戻れないしな…
なんて考えていたら、主人が登場!!
自宅マンションに戻ったら、見知らぬ人(あのお兄さんかな?)が「奥さん、小学校に行ったよ」と教えてくれたのだそう。
その夜
食べ物を全く持っていなかったので、主人がコンビニに行くと言い出しました。
そして買ってきたのがスナック菓子。
もうほとんど商品が残ってなかったそう。
子供達は喜んでポテチ食べていましたね(笑)
その後、家に行けば炊飯器の中にご飯だけはある!と思いだし、私は一人自宅に行くことにしました。
もう夕方で外は暗くなる寸前。
停電していてマンションの非常用階段も暗く、足がプルプル震えて(たぶん怖くて震えてたんだと思う)何度か階段を踏み外しましたが、なんとか9階に到着。
部屋に入ると、一筋の光が…!!
なんと、「雛人形のぼんぼり(乾電池で光るタイプ)」が地震で落下した際、偶然スイッチが入ったようなのです!!(3月3日はとっくに過ぎてますね…お恥ずかしい…)
懐中電灯すら持っていなかったので、その後この「ぼんぼり」と おにぎり・水筒を抱え、私は避難所に戻ることに。
避難所に到着すると、主人が何やら荷造りをしていました。
私たちがいた部屋は具合の悪い人が使用する部屋のため、違う部屋に移動してほしいと言われたのだそう。(可能であれば協力してほしいという話で、強制ではなかったようです。)
そんなこと言われても、小学校の中は教室だけでなく、廊下も人でいっぱい。
しかたなく、その日は車で寝ることに。
外に出ると、雪はすっかり止み、綺麗な星空が広がっていました。
停電であたり一面真っ暗でしたからね。
今まで見たことがない、本当に綺麗な星空でした。
車のテレビで津波の状況を目の当たりにした主人と私。
避難所のラジオで「津波で被害が出ている」とは知ってはいたけれど、まさかこんな事態になっていたなんて…。
その日はなかなか寝付けませんでした。
津波がここまでこなくて良かった…
救急車や消防車のサイレンの音が、一晩中鳴り響いていた夜でした。
翌日
朝早くに目が覚めた二女と私。近くをお散歩することにしました。
ふらふら歩いていると、コンビニがやってるではありませんか!!
急いで車に戻り、主人と子供たちとコンビニへ逆戻り。
よかった!まだそれほど混んでない!!
急いで大量のミネラルウォーターをゲット。
停電でレジが使えなかったため、定員さんは全て電卓で対応。お客さんたちも大騒ぎすることなく、順番待ちしていました。
この日は揺れがだいぶ落ち着いたため、自宅に戻ってお片づけ。
主人は一度職場に行ったものの、たくさん人が来てたから問題なさそうだと早々に帰ってきました。

2人での作業なので、大きな棚も元に戻すことができ、スムーズに片づけることができました。
ライフライン
当時のライフラインはというと、電気・水道・ガス(都市ガス)が使えませんでした。(プロパンガスは使えたそうです。)
「これは困った」となったのもつかの間。
うちの近所には個人で経営しているお店がたくさんありまして、炭火で焼いた牛タンが売られていたり、お刺身が売られていたりしたので、意外と物が手に入りました。

テンションがおかしかったのか、いつも買わないような豪華な物を買った気がします。
そういえば家ではエアコンが使えず、日中もまだ寒い時期だったので、家族みんなスキーウェアを着て過ごしました。
電気復旧!
部屋の片づけが終わるとやることもないので、さっさと夕飯を済ませて寝ることに。
その晩、10時ころでしょうか。
ちかちかちか…照明が光りました!!
電気が使えるようになったんです!!!
「これでやっていける!」
またいつ停電になるかわからなかったので、急いで炊飯器でご飯を炊き、ポットでお湯を沸かしました。
ホッとしたらなんだかお腹が空いてきて、主人と夜食を食べることに。
うち、幸いにもIH調理器持ってたんですよね。
これを使ってうどんを煮たり、お肉を焼いたりしたのですが、主人の食べること食べること!

子供達が食べるものがなくなると困るから、我慢してたんですって(笑)
その後
ライフラインの復旧
私が住んでいたのは、仙台市役所まで徒歩15分くらいの場所。
このエリアは津波の被害もなかったせいか、復旧は比較的スムーズだったようです。
復旧した日 | |
電気 | 3月12日(震災翌日) |
水道 | 3月13日または14日(記憶が曖昧。ごめんなさい。) |
都市ガス | 4月11日(震災からちょうど1ヶ月後) |
都市ガスの復旧が一番遅くて、震災から1ヶ月後のことでした。
家に来て開栓作業をして下さったのは大阪ガスの方。それはもう有り難くて!!
当時、日本全国からたくさんの方が来仙してくださり、今思い出しても『感謝』の言葉しかありません。

たくさんのご支援、ありがとうございました!!!
生活で困ったこと
私が暮らしていたところは津波の被害はありませんでしたから、その後の生活で困ったことはこの1点に限ります。
それは「物流が途絶えたこと」。
食料品、生活用品、ガソリン。これらを入手するために、あちこちで行列ができていました。
子連れの私にとっては、並ぶ気が失せるような大行列です。
震災の翌日は長男の卒園式。両親が来るのに備えて食料品を買い込んでいたので、実際に行列に並ぶことはなかったのですが、不安な日々を過ごしました。

毎日ベランダからスーパーの入り口の行列をチェックしていましたね。
オムツがなくなりそうで、ハラハラしたのを覚えています。
私がとった「幸運を呼び込む行動」
こうして震災当時を振り返ってみると、あの大変な時を大した苦労もなく乗り越えられたのは幸運だったとしか言いようがありません。
防災に関して無知で、なんの備えもしていなかった私。
そんな私ですが、実は良い判断&行動をしていたんですよ!
1.寝室には倒れやすいものは置かない
仙台に引っ越すことが決まったとき、親に言われたのが「宮城は地震が多いところだから気をつけなさい!」。
具体的に何をしたらいいか、よくわからなかったのですが、寝室に寝具以外の物は置かないと決めていました。
だって、寝ているときに何か落ちてきたら危ないので。
その甲斐あって、地震当日も揺れが落ち着くまで寝室で安全に過ごすことができましたし、片づけを進める間も子供達を遊ばせる部屋として重宝しました。
ただし、その寝室でビックリすることがありました。
実は2回目の大きな地震があった際、天井から照明器具が落ちてきたのです!

掛布団の上に落ちたので怪我はありませんでしたが、想像を超えることが起きるものです。
念には念を。皆さんもお気を付け下さい。
2.お風呂に水を貯めた
地震が来て長男を救出した直後、すぐにお風呂に水を貯めました。
そのときはまだ水が出たんですよね。
水道から水が出なくなったときは不安になりましたが、お風呂いっぱいに水があったので、少しばかり心に余裕がありました。

「水」は重要ですよね。
ないよりは、あったほうが絶対にいい。
いや、なくてはならないものNo.1です。
まとめ:日頃から「もしも」に備えよう
震災時の出来事をまとめてみると
- 子供達と一緒にいるときに震災発生
- 大きな怪我をすることなく避難できた
- 主人にすぐに会えた
- 水を簡単に手に入れることができた
- スキーウェアを持っていたので温かく過ごせた
- 冷蔵庫には食料品満タン
- 車のガソリンも満タン
- ライフラインの復旧が早かった
私がたいした苦労をしなかったのは、単純に運が良かっただけですね。
宮城県は本当に地震の多い地域で、前回と同じか、またはそれ以上の地震が起こる可能性もあるわけです。
こんな奇跡は2度と起こらないでしょう。
備えあれば憂いなし。
みなさんも、日頃から「もしも」の時に備えましょうね。
ちなみに私が震災後すぐに購入したのは保存期間5年のミネラルウォーターと非常食。
今年は台風が多く停電の心配もあったけれど、備えがあったので慌てることはありませんでした。

うちではクリクラと契約しており、家には常に最低ボトル1本は置いておくようにしています。非常時、生活用水として使うためです。
今流行りのフレシャスとかプレミアムウォーターとかオシャレで素敵。コンパクトサイズもあるようなので、変更しようか悩み中です…。